お家で珈琲生活、再び。

珈琲が好きだ。

母はとても勉強熱心な人で、珈琲も師匠を見つけて習いにいっていたことがある。
(珈琲に限らず、ハーブティー・紅茶・中国茶…etcだいたいのお茶をマスターしている)

そんな母が珈琲をいれていたわけだから、家でもかなり美味しい珈琲を飲むことができていた。

一人暮らしをするときに、母から電動コーヒーミルとハンドドリップ用の道具をお下がりでもらった。
嬉しくて、一人暮らしスタート同時に毎朝珈琲を豆を挽いていれる生活が始まった。
 

母から教わったドリップの仕方を思い出しながら、本当に毎朝珈琲をいれていたと思う。
・適当な気持ちでいれたら適当な味になること
・急いでいれたら薄い珈琲になること
・豆の鮮度や売り方によってかなり味わいがかわること
そういう教訓を何度も味わいながら朝を過ごしていた。
 
実家に帰った時は、母に珈琲をいれてもらってコツを聞いたりもした。
 
「あ、美味しい」と自分で思える珈琲がいれられるようになってからも、毎朝続く習慣だった。
10年近く続いていたと思う。
 
それがここ1〜2年くらい、珈琲を自分で入れる頻度がガクッと減った。
理由は、午前中にカフェや喫茶店に出向くことが多くなったから。

外で珈琲を飲むことになるので、家でいれなくなったのだ。

もう一つの理由は、朝の時間を楽しむ心の余裕もなくなっていたから。
朝の時間がもともと大好きな私は、珈琲をいれることも含めて、朝の時間を心の底から楽しんでいた。
けれど、いろんなことが重なって、急にそれができなくなった。

全くいれないわけではないけれど、月に1、2回いれるかどうか、そんな感じだった。

さて、そんな生活が続いていたわけだけれど、突然珈琲生活が戻ってきた。

この世の中の状況で、カフェや喫茶店も当然ながら休業。
外で珈琲が飲めなくなった。

そうすると、家でまた珈琲をいれる生活が戻ってきた。
珈琲豆はきらさないようにする習慣だけは残っていたので、準備はOK。

しかし、ここで問題が発生した。
自分でいれた珈琲があまり美味しくないのだ。

どうしてだろう…豆の種類のせい?と考えたり、いれかたを変えてみたり。
自分でいれる珈琲にそれなりに自信があった私は、しょんぼりしつつも、めげずに毎朝続けた。

毎朝の珈琲習慣が戻ってしばらくしたある日、「あ!美味しい!これこれ!」と思う珈琲がいれられた。
豆も変えてない。いれかたもさほど変わってない(はず)。

その日から、「おいしい」と思う自分好みの淹れたての美味しい珈琲が飲めるようになった。

珈琲が美味しくなかったのは、なぜだろう。
突然美味しくなったのは、なぜだろう。

しばらく考えた結果、いきついた答えは
・美味しい珈琲をいれられなくなったのは、腕がおちていたから
・突然美味しくなったのは、習慣が再開したことで腕がもどったから
だった。

あんまり美味しい珈琲がいれられなくなっていたのは、毎朝10年近く続けていた習慣がぱったりなくなり、単純に、珈琲をいれる腕がおちていたのだ。
言ってしまえば、一人暮らしの初期の頃くらいに。

でも、再び毎朝続けることで、腕が感覚を取り戻したのだ。

何事も続けるってやっぱり大事なんだな。
そんな当たり前なことを思った。

さて、そろそろお湯もわいたことだし、本日の珈琲をいれますか。

今日も穏やかににこやかに。

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